市民の視点・声
世界に一つだけの花、そう、誰一人として同じ人はいない。同じ人が二人といないのに、どうして相手によって差別が生まれるのだろうか。人間は悲しい、寂しい生き物なのである。自分と回りの人が同じことで安心する。同じなんてことはあり得ないのに。
人間以外の動物は絶対感覚で回りと接している。一つひとつ接する対象物が違うことを感じて生きている。だから、自分が他者と違っていても一向に気にしない。卑下することもないし、得意になることもない。自然に生きているのである。
障碍を持つ人に対する差別は自然に出るものなのだろうか。そうではない。そもそも障碍という言葉自体、自然に反しているともいえる。障碍という言葉の意味は、「障」も「碍」も何かをしようとする場合に差し障りが出てくるということで、例えば視覚に障碍があるという場合は、ものを見たいときに差し障りが出るということである。
しかし、それは本人にとって差し障りが出ることであって、回りの人がそれでもって差別することは、自然な行為ではない。一人ひとり違うことが自然なのだから、違うことに違和感を抱く方が不自然である。
回りの人と同じことで安心感を持ちたいというのなら、視覚に障碍がある人なら、その部分を助けて、自分と同じような行動がとれるようにすることで、自らの安心感を得るようにすればいい。
偏見は反自然である。偏見が人間自身の首を絞めていると言っても言い過ぎではないだろう。人間は自然と共に自然に生きるのが一番幸せである。
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