視察・学習報告

障碍児の世話

  • 隅田(すだ)盛和
  • at 2006/11/27 23:32:31

わいわいクラブ  丹波養護学校の亀岡地区の父兄が中心になって平成元年にできた「わいわいクラブ」に一日ボランティアに行ってきた。会派のメンバーに声を掛けると、みんな快く「やろうやないか」となった。

 「わいわいクラブ」は長期休暇中に、養護学校、障害児学級の児童生徒の相手をしてあげるボランティア活動である。
 障碍を持つこと自体は決して不幸なことだとは思わないが、実際問題として障碍児を持つ親の生活は想像を絶する。学校へ行っている時間だけが、正直ほっとする時間だそうだ。長期休暇になると24時間目を離すことができない我が子が、ずっと家にいる。好んで障碍を持って生まれてきたわけじゃない。我が子に障碍を与えて生んだ慚愧の念は、親の心に一生重くのしかかってきている。それでも精一杯我が子に、幸せな人生を送らせてやりたいと思う心は、世界中どの親も同じである。

 午前9時過ぎから午後3時頃まで障害児ひとりに対して、ボランティアが2,3人付く。私は高1の女子を、もうひとりの高校生の女の子と担当したのだが、想像を越えた大変さだった。担当した子がどういう子であるかは、一応記録とかを見せてもらって分かっていたのだが、実際どういう行動に対してどう対応すればいいのか、なかなか分からない。何度も同じ子を担当したならある程度、その子にあった対応が出来るのだろうが、この種のボランティアは始めてで、戸惑うことばかりだった。これはうちの会派のメンバーにも共通したことだったと思う。

 この体験は、貴重なものになった。議員活動の中で、この活動に深く入っていく時間は持てないが、現場を実際に体験し、実情を見ておくことは、社会制度に対して影響力を持つ我々にとって、欠かすことの出来ない時間である。
 議員はともすれば、議場だけの時間に終始し、それで世の中を動かしている気になってしまうものである。現場に出て行くのは、式典と後援会活動、支持者からの頼まれ事だけといった議員が多いとまわりを見回してみて感じる。
 市会議員は市の将来の制度を作っていく立場の人間だから、市の将来の制度に関するあらゆる事象に対して、貪欲に興味を持ちすすんで体験しようと努めることが必要と思う次第である。

 多くのボランティアに支えられないと維持できないのが福祉である。例えば、ボランティアをしたら、学校の単位とするなど、制度的に福祉をサポートすることも必要だと思う。ボランティアは自主的なもので、制度にしたら押しつけになるという議論は、理想論としては分かるが、体験しないと気づきもないことは重く考えるべきである。特に子供はどんなにひねくれてることを装ってても、自分が必要とされている体験をすると、コロッと変わるものである。
 子供にボランティア体験をさせることは、心を教えることにつながる。強制という言葉だけで反発し、子どもの心に大切な助け合う体験の機会を与えないことは、これは「罪」であろうと思う。直ぐの効果を期待してはいけない。子供が人生の中で、いつかその時の体験を思い出すときは必ず来る。これが教育だと思う。

 


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