糸満市視察

  • 隅田(すだ)盛和
  • at 2006/12/04 08:32:40

平和祈念公園平和事業の経過

平成5年平和都市宣言をした。その中の文句に「意地ぬんじらぁ 手(てい)引き 手ぬんじらぁ 意地引き」というのがある。これは、琉球時代、薩摩の武士から借金をして、催促をされたときのエピソード「白銀堂伝説」に由来する。

伝説の内容

 糸満の漁師が、児玉左衛門という名の薩摩武士から借金を したが、期日になっても返せない。児玉が取り立てに訪れると、漁師は洞窟に身を隠すが、児玉に見つかり、刀を振り上げて返済を迫られる。漁師は必死で児玉を諫め、「意地ぬいじらぁ 手引き 手ぬいじらぁ 意地引き」と訴えた。この言葉の意味は、感情的になったら、取り返しが着かなくなる前に冷静さを取り戻せというものである。児玉は、漁師に翌年の返済を約束させ、鹿児島に帰る。夜半に帰宅した児玉がわが家で見たものは、男と添い寝するおのが妻であった。怒りを発した児玉は、刀を抜くが、そこで漁師の言葉を思い出す。よくよく見ると男かと思った人影は、実母の男装した姿であった。それは、女所帯の不用心を男装して寝ることで防ごうとする母の心遣いであった。翌年、糸満を訪れた児玉は、漁師に借金の棒引きを提案するが、漁師は折角金策に成功したのだから、と返済を頑固に主張、押し問答の末に、返済金として集めた銀貨を以前身を隠した洞窟に埋めることになった。 ここから白銀堂の名がつけられたという。

糸満市民は「短気を起こしたら、手を出さない。手を出そうとしたら、心を静めよう」と平和都市宣言に込めているのである。

糸満市平和祈念祭

年末から年始にかけて親水公園で15日間「平和の光」いとまんピースフルイルミネーションを開催している。沖縄戦終焉の地糸満市から、「平和」への願いを沖縄県人口とほぼ同数の130万個のイルミネーションで飾られる。

23万人が平和の礎に刻んである。終戦は8月15日だが、沖縄では6月23日に実質的に戦争が終わった。その日は学校は休みになる。平和の語り部を14名置いている。


(質問)
有事法制について市あるいは市民はどう思っているのか。

(答弁)
我々が答えられる立場にないが、日本における米軍基地の75%が集中する沖縄では影響が大きい。住民を守る立場から法律の整備は必要であるが、もっと国会で沖縄の状況を話し合って欲しいと考えている。

(質問)
市議会が果たす平和とはなにか。市と比べて

(答弁)
行政の事業に積極的に参加して欲しい。学校現場での指導、先生との連携をとってほしい。

(質問)
不発弾はまだあるのか。

(答弁)
戦後処理された不発弾は18000個にもなり、昨年は84件下水道の工事や、開発地で見つかり、最近は年7,8回職員が出ている。自衛隊が処理するが、失敗例はない。

(質問)
「平和の光」の参加人数は?

(答弁)
一日に5万人、10日間で53万人である。

(質問)
糸満市の年間の観光客数はどのくらいか?

(答弁)
約500万人である。


観光農園事業

パッションフルーツワインなども醸造している。風力発電機3基をもち、総事業費40億円。ちなみに国庫補助26億円。こういった大型施設の建設には国の補助金がつくが、補助金がつくのは最初だけであとの維持費は地元負担なので、目先の補助金につられて分不相応な施設を持ってしまい、泣いている自治体は枚挙にいとまがない。市議会の一般質問でも再三にわたって取り上げられているこの施設が、糸満市民に貢献できる施設になることを祈念する次第である。


平和祈念公園

平和祈念資料館の資料には、戦争のむごたらしさを記録する多くの資料があり、国民すべての目にさらし、平和の尊さを考えてもらわなくてはならないと感じた。特に、米軍の記録班が撮った映像はあまりにも生々しい。戦争の悲惨さ、残酷さが次々と目に飛び込んでくる。直視するには、あまりにも悲しすぎると言うほかない。修学旅行の子どもたちが多くいたが、単に怖い、悲惨だけでなく、本当に平和とは何かを考えてくれるきっかけになって欲しいと思う。これらは沖縄の観光資源ではあるが、観光資源レベルにとどめておいていいものか考えさせられた。


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