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生き残った「人形」

  • 松本 英一
  • at 2008/8/10 17:07:53

「友情の青い目の人形」を通して目米友好に関わった人たちに目を向けて、企画された第4回棚倉「平和のための戦争展」 2008年8月10日(土)~13日(水):棚倉中央公民館

生き残った「親善人形」。(ベティ・ジェーン)
昭和2年3月3日の「ひな祭り」に日本の人形と一緒に飾ってお祝いをして下さいと。
アメリカから「青い目の人形」が約1万2千体贈られたもの。不幸な第二次世界大戦を挟んで、現在日本には213体しか残っていないといわれている。
 そのころ、日本全国の学校でこの人形の歓迎会が行なわれた。
 二歩とアメリカの親善を願って贈られた。その後アメリカと仲が悪くなり昭和16年12月に戦争へ突入し、アメリカが敵となった。敵国からの贈り物である以上たたき壊せと 当時の文部省国民教育局は米・英打倒と戦争が激しさをましていった。
 昭和20年8月15日敗戦に日を迎えるが、この日は平和の日のスタートでもあった。対戦の衝撃も幾分和らいだ頃、角田誠一郎白河第二小学校校長が焼け捨てられそうになった「青い目の人形」をだれも知らないところに隠して守った。 
 ベティ・ジェーンちゃんは戦争の恐ろしさを児童らに今なお語りついでいる。
2008年8月11日夕刊たなぐら記事から抜粋。


  写真:西郷村熊倉小学校(ベティ・マイ・リチャーズ)

 

 
 
 
 
 
 
 昭和18年頃:学童疎開、集団で都会の学童が空襲をのがれて田舎(棚倉町)の長久寺で親元離れて生活をした。
 
 
 (写真:白河女子学生による援農作業)
年代不詳
 
 
 
 
 
  
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