「原爆孤児」
両親も兄姉も失った「原爆孤児」たち。瓦礫の山が唯一の遊び場であったが、箱車で遊べるのは幸運な方であった。ポケットのりんごを与えると大きい子はニコリともぜづ掴み取りかぶりついた。そして次の子に渡した。ハエの群れがあっという間にりんごを覆い、ロに入ったりしたが、驚いたことに子供達はそれすら気づかないようであった。それほど激しく空腹であっても、じっと自分の順番を待ち、一個のりんごを静かに分けあって食べた。
怒ったような雲、人気のなしビル、裸の木はのろわれた雰囲気をかもしだしている。街は空虚で不気味に見える。
このとき初めて「私が本当にここにいるべきではないだろうか」という思いが起こった。(ジョー・オダネル氏のことばです)
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著作権について
原爆展「トランクの中の日本」は三春町交流館「まほら」での主催者から商用でない場合の許可を得たものです。
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