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会報誌 鹿鳴通信 原稿

  • 辻本 茂
  • at 2011/6/04 21:40:07

  会報誌「鹿鳴通信」原稿               

有限会社つじへ 代表取締役 辻本 茂

「 Surfin と 自然 

 梅雨も明ければ夏・本番到来です。僕の感覚では夏といえば海、海と言えばSurfinとなります。今も年に数回海に行っています(サンデーサーファーと言いますが)。初めてサーフィンの存在を知ったのは子供の頃、若大将こと俳優の加山雄三さんが湘南の海でサーフィンをされている姿を雑誌かテレビで見たと思います。随分前の話です。その頃はいたって興味も無く特別なもののように思っていました。同年代のみなさんには懐かしく感じられるかも知れませんが。

やがて、高校生になると第1次か2次か分かりませんが日本の若者にもサーフィンブームのはしりがやってきました。海の無い奈良県においてさらに無縁な感じがありましたが、先輩がやり始めたことを知り、初めて海に連れて行っていただきました。それまでは、イメージで直ぐ立てる、直ぐに波に乗れると思っていましたがなかなかうまく行かず悔しい思いだけが残りました。

本格的にやり始めたのは大学1回生の春からです。1979年まさしくサーフィンブーム到来でした。大学・アルバイト・サーフィンに明け暮れた生活が始まりました。

波は二度と同じ波はありません。まさしく、自然との闘いがそこにはありました。同時に自然の脅威や自然を大切にしなければならないことも学びました。

サーフィン人口が増えると共に、サーフィンの関係とする生業も急速に増えていきました。サーフショップや海の家からサーファーの利用するお店に変わったり、大阪のミナミでアメリカ村が急速にクローズアップされたのもこの頃です。日本でプロサーファーと言う職業も定着し始めたころです。

次第にサーフィンが楽しくなると、段々とコンペティションサーフィンを目指すようになり、サーフボードメーカーやショップと契約し、テストライダーをしながら各種サーフィン大会に出るようになりました。当時はNSO(奈良サーフィン協会)に所属して各種大会に参加しトロフィーや盾・メダルなどいただきました。また大会運営のお手伝いでジャッジ(サーフィン大会での審査員)もさせていただきました。

友人と共に民宿の一部屋を一ヶ月単位で借りたり、友人のおじさんが不動産開発の為に建てた別荘を借りたりしながら、多い時には週に3日は海でいました。伊勢国府の浜をホームグランドに全国・海外にも行きました。学生でお金はありませんでしたので、車の中での寝泊りの極貧サーフトリップは本当に楽しかったです。千葉・小笠原諸島・湘南・静岡・三重・和歌山・徳島・高知・宮崎・鹿児島・石川・福井・京都・鳥取・島根、特に思い出の冬の日本海はスキー板を積んだ車を横目にサーフボードを積んで雪の中を海に向かって走っていました。その他では奄美大島は毎年お正月に行っていました。当時は、奄美大島の地元にサーファーは居ませんでした。最初の年は民宿で、次の年からは地元の方と友達になりサーフィンを教える代わりに泊めていただきながら。奄美大島のサーフスポットを開発したりしました。ハワイ・バリ島・オーストラリアにも遠征しましたが、どこも思い出深いです。

どこに行かせていただいても、自然の豊かさを知り自然の大切さを教えて頂きました。ビーチにスーパーのゴミ袋やペットボトルが散乱しているなんて考えたくないですし、見たくはないですよね。やっぱり青い海には白い砂浜が似合います。

みなさんもこの夏海に出かけサーフィンを楽しみませんか。

 
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