「地方分権」が政局の一つのテーマにもなってきました。
そもそも「道州制」は、十数年前に大前研一氏が平成維新で訴えてきたことです。しかし、大前氏は「地方分権」とは言わずに、「地方自治の確立」と謳っていました。
この違いはとても大きいのです。今、優秀な人材は地方から都会へ、“一流大学”も東京、大阪、京都等の都市部に集中し、またアメリカとは異なり、中央官庁や大企業の本社も大都会に“一極集中”しているのが実情です。
また地方では知事が2期、3期務めれば“○○天皇”と呼ばれる存在になりがちで、その結果、地方議会は“オール与党化”し、地方のマスコミも地元警察も大物知事には気を遣い始めます。どんなに立派な人が知事になっても、当選回数を重ねる毎に、周囲はしがらみで淀んでくるものです。残念ながら、地方議員のレベルも“欧米並み”とはほど遠いというのが現状といえましょう。そうした中で、権限と財源を地方に分け与えたら社保庁どころでは済まなくなる事態が起こりうるのは明白です。
ですから、まずは優秀な人材が地方に残り(戻り)、そうした人たちが地方の行政機関に就職したり、地方議員を目指してはじめて、知事(周辺)のチェック&バランスが機能し、中央に負けない地方行政が確立していくものと思います。
こうした地方自治確立のプロセスを、地方分権論議と併せて実施・実現していかないことには、私は賛同できません。知事は当選すると一人で行政に乗り込んでいきます。アメリカのように知事が当選すれば、何十人、何百人もの優秀な人材が移動するような仕組みにならなければ、この国の「地方分権」は危険すぎる気がしてなりません。
何事も「改革を実現するには、様々な“抵抗的”心配無用が原則」とは承知しつつも、地方政治の現状を見る限り、社保庁、日本郵政以上の危機感を覚えます。
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